misty's Blog

旅行が中心ですが、趣味など経験したものを書いています

兄夫婦が帰った後は、毎度のことなれど、「私に黙って帰るなんて・・・」とお怒りの電話が私に。

兄が帰った後の母は、

最近、いつも

「お嫁さんが、いないんだけれど、私の夕食はどうなってるの?」

みたいに、

帰った事をすっかり忘れて、一緒に暮らしていたことだけが思い出され

 

「私に、何も言わないまま、帰るなんて!!!!」

 

とお怒りの電話を私にしてくる。

 

今回は、兄が帰った後に、すぐショートステイで、家を空け、

うまく、ごまかせたかなー。と思ったけれど、

 

昨日は、金曜日か。

月曜日の朝、兄たちが帰り、

火曜日から、ショートステイで、水曜日に、ショートステイから帰り、

木曜日は、順調だったけれど、

昨日の金曜日は、朝から電話が・・・・

 

母「ねぇ、私は、ここで一人なのかね?」

私「そうだよ」

母「じゃ、私は、ここで一人で、ずっと暮らしていくのかね?」

私「そうだよ」

 

なんとなく、怒っている雰囲気で、電話を切られる。

 

またすぐに電話がかかってきて

母「ねぇ、私は、ここで一人なの?」

私「そうだよ」

母「それなら、一人で餓死していくしか、無いじゃないか」

 

毎日、ご飯を持っていってあげているのですが、それを電話で説明しだすと

母は、「何を言っているのか、わからん!!!」と怒るので、今、私が風邪をひいて喉が辛く、声をだすのもかなりしんどいので、

 

「餓死していくしか、無い」という母の問いにも、

私「そうだね。」

と答えた。

どうせ、今の電話も忘れちゃうもんねー。

 

母「わかった。一人で餓死して死んでいく」

と言って、電話を切られた。

 

また電話がかかってきた。

母「私は、一人で、ここで暮らすのか、餓死してしまうじゃないか」

みたいな事をまた言うので、

 

私「おばあさん、一人で暮らすことが出来ないなら、じゃー、施設に入る?」

というと、

 

母「もう施設にでも、どこでも入れてくれ」

というので、

私「わかった。じゃー、探して、また連絡するわ」

と言ったら、電話を切られた。

 

また電話がかかってきて、

母「ねー、施設に入るにしても、いろいろ手続きが大変なんじゃないの?」

↑ 本当は、入りたくないので、多分、こういう事を言う。

 

私「大丈夫。全部私がやるから、心配しなくていいよ」

 

また電話を切られる。

 

で、電話が掛かってきて、いきなり

母「なんで、私が施設に入らなくちゃいけないの!!!!」

というので、

 

私「だって、おばあさん、一人では暮らしていけない。って言ったじゃん。だったら、施設に入るしかないじゃん?」

 

母「施設になんか、入りたくない」

私「わかった。じゃー、施設には入らなくていいよ」

母「一人が嫌なんじゃない。一言も言わずに、勝手に(兄たちが)帰るのが許せない」

 

結局は、そこなんだよねー。

でも、いくら、何回でも

私が、「お兄ちゃんたちは、ちゃんと挨拶して、帰っていったよ。それをおばあさんは見送ったんだよ」

と言っても、

 

知らない。そんなことは無い。

と言い張るので、もうスルー。

 

ちなみに、夕方、いつものように、母の夕ご飯など、餓死しないように持っていったら、

 

母「あら、今日は、(来るのが)早いわね。仕事、もう終わったの?」

母「いつも、ありがとうねー」

 

と、朝のことなど、すっかり忘れていました。

 

私「紙パンツ、履いてる?」

と腰のあたりから、お尻を覗いたら、紙パンツが見えて、その上に普通のパンツを履いていた。

 

その前日の夕方は、履いてなかったので、履かせたけれど、

一日に一回、確認して、履かせるだけでも、多少は、お漏らしパンツが減っているのだろうか。

 

洗濯は、多少は手を出すけれど、基本、母に任せているので、不明。

 

なんか、過去の自分のブログを見ていて・・・・

www.mistysonata.work

去年の5月に、こんな事書いていた・・・・↑ ↑

 

その後、当時のブログに書いてあったショートステイに通う事になり、

「そうか、冬に向かって紙パンツを利用するのがいいのか」と上記ブログに書いてあるけれど、うまい具合に、最近、紙パンツを利用し始めた。

 

来年は、いや、今年一年は、母は、どうしているんでしょうかねー。