misty's Blog

旅行が中心ですが、趣味など経験したものを書いています

母が施設から市民病院に夜間緊急外来へ。そして、18時~23時の長い夜。母は、全然元気だけれど。

夜間緊急外来?の入り口から入り、

 

そうか。一人一人のブースが出来ていて(発熱者用)そこの10番に、

母が車いすのまま、いて、その横に、若い看護師さんがいた。

メチャ狭いので、患者と付きそいの人2人が、入れるくらいのスペース。

 

母は、元気です。普通です。


熱も、あるんだか、ないんだかくらい。微熱?
誰もいないときに、おでこに手を当てたら、

母「(熱)ないでしょう?あたなの(手)方が、熱いくらい」

 

18時に到着して、順番待って、
18時半くらい?に診察して、

 

私も、施設に預けて1年だし、同居もしていなかったし、母のこと、よくわからないんだよねー。いろいろ、質問されるけれど・・・

 

そして、看護師さん、確かに若いし、
この人、実は母のこと、分かっていない?

 

施設のかかりつけ医、先月変わったばかりだし。

 

看護師さんが、医師や、市民病院の看護師さんの質問に答えていたけれど、

 

介護度は?と聞かれて「介護1です」

 

うーーん、あれ、もう少し上がった気がしたけれど、まいいか。
→入院のときに、手続きしていて、介護2と判明。やっぱり・・・

 

普段の疾患は?

私的には、高血圧だけだよね。他は、血液検査でも、全然異常なかったし
と思うのに、

 

「心臓疾患と」
え?そうなの?

はるか昔、20年前に、そんなことがあって、ハートセンターに連れていった覚えはあるけれど・・・・

 

「脂質異常」

え?脂質異常って、コレステロールとか、他にもあったけれど、
でも、血液検査の数値、全然基準値なんだけど

と思ったけれど、私が知らない間に、そうなった?
と思って黙っていたけれど、
介護度も間違えたし、
もしかしたら、間違えているのかも。

 

医師の診察。

 

そして、尿検査、レントゲン。

 

尿検査は、施設の看護師さんは、「無理です。紙パンツだし。」
と言いかけたけれど、

 

私、母を施設に入れる時に健康診断書を作らなくてはいけなくて、
元々のかかりつけ医の病院で、母の尿を採ったことがあるんだよねー。

 

だから、
私「あ、やってみます。できるかも知れない」

ということで、

 

その後、看護師さんが、
※結局、レントゲンだけだと、よく分からないから(私的には、大丈夫と思うんだよねー)MRIを撮ってもいいですか?と言われて、撮る事になった。

 

あ、血液検査も、もちろんした。

 

市民病院の看護師さん「今から、MRI撮れるんですけれど、尿もまだなんで、もし、今、オシッコしたいなら、先に、尿を採った方がいいか。と思って・・・」と、やってきた。

 

市民病院の看護師さんが、母に、「オシッコでる?」と聞いたら、

 

母が「オシッコしたい」

というので、

慌てて、母を連れてトイレへ。
(その時、施設の看護師さんは、市民病院への申し送りかなんかを書きに、どこかに行っていなかった)


どこで採る?

 

そうか、障がい者用のトイレか。車いすだし・・・

 

とそこに入り、

 

母「あ、もう出ちゃう、出ちゃう」

私「えーーーー」

 

急いで、車いすから、なんとか、便器に座らせながら、ズボンとパンツをおろして、

母「あー、出ちゃった」

 

いやいや、頑張って、(ズボンをしっかりおろしていないので、股がひらかない)

手を入れて、見えないけれど、オシッコが出ていそうな場所にコップを持って行き、

取り出してみると、高さ1cmくらい?
まー、こんなもんでも大丈夫か。

と思ったら、

 

母が「あ、まだ出てる」
というので、

 

え?じゃー、追加で足したい!
と思ったけれど、カップが、股の下に入らず

 

母「あ、終わっちゃった」

と、まるでコントのようで・・(笑)

 

でも、そうやって、(尿が)出ている。とか、出るとか。分かるんだねー。


間に合えさえすれば、自力でトイレ可能か。
紙パンツだけれど。

 

尿検査、クリア。

 

結果、どうやら、尿に少し菌が入っていたらしい。

 

泌尿器科は、私も、よくお世話になるけれど(膀胱炎・尿血栓
どういった菌なのだろうか。

 

その後、MRI
とかは、もう市民病院の看護師さんにお任せで、

 

私と、施設の看護婦さんは待機。

 

市民病院に着いた時点で、
市民病院の看護師さんは、「検査が終わったら、もう施設の看護師さんは、お帰りいただいて、あとは、ご家族の方で・・・」

と言っていたが、

 

えー、私、一人残されるんですか・・・。

 


ここには、
施設の車で施設の車椅子で、やってきた。

 

ですが、
え?私だけ残されて、

 

私「え?もし、このまま帰れ。と言われたら、私、どうしたら、いいですか?」
  (その時は、車いすに母を乗せたまま車に乗せることを想定していた。後から考えると、車椅子をたたんで、母をタクシーに乗せるのは、可能っぽい)

 

とにかく、私も、困ってしまって

そして、どこに帰るんですか?
施設に帰ってもいいんですか?
私の家に連れていくんですか?
(現状の母の世話が出来るだろうか?)

 

看護師さんも、若いし「そうですよねー。ちょっと、支配人に聞いてみます」

 

若い看護師さんが、電話で支配人と相談して、

 

結局ね、

 

今から、支配人が、母の入院セット(パジャマとか、紙パンツとか?)を持って、こちらにやってくるので、


その時に、施設の車椅子も、施設の人(施設の支配人と、施設の看護師さん)が持ち帰り、

 

母は、市民病院の車椅子を借りて、
私と母とで、市民病院で結果を待つ。

 

で、もし帰ることになったら、タクシーを呼んで

 

施設に私が電話を入れて、帰ります。と伝え、

 

施設に着いたら、また私が電話を入れて、ドアを開けてもらい、母を渡して、
私が、そのままタクシーに乗って、家に帰る。

ということになった。

 

あー、ここ市民病院の夜間緊急外来の待合室で、

ずーーーーーーっと待機中。

 

18時くらいに着いたよねー。

 

なんかねー、放置された時間が長すぎる。

 

血液検査の結果が1時間後に、出るので、それまでお待ちください。って言われたけれど・・・・・

 

まー、私が、肩の骨を骨折した時も、昼間だったけれど、
いや、昼間だったからこそ?

あの、めちゃ痛い状態で、3時間くらい放置されていたと思う。(実際は、どのくらいか、もう忘れたけど)

↓ 3時間てことは、なかったらしい。1時間????

 

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待機中に、
見てくれた研修医(男の子)が来て、

 

やっぱり、尿にも菌があるし、少しだけれど肺炎の症状も出ているし、高齢なこともあり、
入院ということも考えて、

 

後から、上司がくるので、上司にお伺いを立てて・・・

みたいな感じを言っていて

あー、はい。

 

そして、放置。

 

しばらくして、女性の医師(この方も若いけれど、でも上司だか、先輩なんだろうね。研修医じゃなくて、ちゃんとした?医師?)が来て、

 

一応、入院に決定だけれど、

「入院してもいいですか?」みたいな事を私に聞く、

 

なんでも、「どうしても、入院は嫌だ。という患者さんもいるので・・・」

と言っていたけれど、

 

私は、入院しろ。といえば、入院するし、帰ってもいい。と言えば、帰るんですけれど・・・(←心の声)

 

もしかして、
施設にしても、病院にしても、

そんな救急センターに連れてくるほどでもなくて、入院するほどでもないけれど、

 

後から、
「あの時、病院に連れていかなかったから」とか
「あの時、入院しないで、帰されたから」とかで、
遺族からのクレームが怖いだけじゃない????

なんて思っちゃうんだけれど、

 

そのくらい母は元気で、
むしろ、この車いすで、3時間放置の方が辛いと思うけれど(私も辛い)

 

結局、入院になり、

それが決まってからも放置。

いやいや、忘れられていない????
私たち、どうすればいいの?

と思って、しばらくは我慢して待っていたけれど、

 

とうとう、受付にいる人に

 

私「なんか、入院が決まったみたいですけれど、このまま、ここにいればいいんですかねー?」

と聞くと

お名前は?

と言われて、母の名前を告げると、

 

「今、入院の受け入れ態勢を整えているので、ベッドが整い次第、病室担当の看護師が迎えに来ます」


ということで、そこから、またずっと待つ。

 

母が、
外が暗いのと、時計の時間を見て、
何度も何度も、
「ねぇ、あなたは、もう帰りなさい。申し訳ない」

 

そして、妄想も入ってきて、
母「あなたが、帰らないと、あの人たち(受付の人とか)も帰れないから・・・」

私「あの人たちは、仕事で、ずっとここにいるんだよ」
といっても、

いつもの
母「何言っているか、わからない」

 

そして、一人大きな声を出すので、待合室中に響き渡る。
それが、5分か10分に一度、行われる。

 

周りには、やっぱり、母みたいな、高齢者のおじいさんが、付きそいの人といたり、
小さな子供が、両親に連れてこられたり、

あ、あの人は、自分一人で、やってきたんだ。
歩けるけれど・・・

 

とか、会社の上司?が、部下を「熱中症の疑いがあるので」と連れてきたけれど、
全然普通ぽいけれど、その部下の人。

 

あんまり、母がウルサイので、

帰ったふりをして、車いすのなので、母の目の届かないちょっと後ろの椅子に座って、待機。

そこから、20分?30分くらいしたら、
病棟の看護師さんがやってきた。

 

しかし、その20分か30分の放置が失敗だった。

母は、その間に、記憶がなくなって、

なんで、私は、ここにいるの?
なんで、私は、ひとりだけなの?

で、看護師さんが来た時には、
怒って、涙目で

「なんで、私を一人にしておくんだ」モードで、訴えた。

 

あちゃー。
母の「帰れ」攻撃でも、やっぱり横にいるんだった。

私も、言い訳しつつ(笑)

 

看護師さんも、母に「遅くなって、ごめんねー、ごめんねー」
と言って、みんなで、病棟へ。

認知症の人の入院がどんなものか分からず、
え?私、今日は一晩、病院で、付き添いで、家に帰れない?
というのも覚悟をしていたけれど、


9階(病棟が9階)にあがり、

 

看護師「申し訳ないですが、この時間帯、ご家族の方は、病室には、入れないので、ナースステーションの所で、書類を書いてもらうことになります」

え?そうなの。
じゃ、私泊まらなくてもいいのね。

 

で、施設の人が、お泊まりセットを持ってきてくれたけれど、

 

看護師さんが、
入院セットというのが、あって、一日何百円で、どんだけ汚してもいいし、
とか、紙パンツも、施設で紙パンツを買ってもらって、請求されていた。と伝えたら、
そちらも、紙パンツセットというのが、あるみたいで、

 

もう、「それがいいです!それでお願いします。」

 

と言い、その書類も書いて

 

ようやく解放されたのが、23時でしたー。

 

タクシーを呼んで、残りの母のチケット1500円分と、残りの現金2000円ちょっとを支払って、家に入り、


シャワーを浴びて(あー、シャワー浴びたかったよ)
家で寝ることができました。

 

こういった、Xデーは、時々起こる。

病院で、母2人で、じっとずーーーと待機していたときには、
もう、永遠にこの苦しさが続くかと思って悲しくなったけれど、

 

明けない夜はない(最近読んだ本で、北極の方では、「明けない夜」はあるんですよ。と言っていたけれど)

止まない雨はない。

 

とりあえずは、夕べは、家のベッドで寝れて(4時間くらいだけれど)
今に至ります。(これを書いたのが、入院さわぎの次の日)

 

面会は、どっちみち14時からなので、

今日(入院さわぎの次の日:7月10日木曜日)の予定は、

 

【ミッション1】

9時過ぎたら、施設に電話を入れて、

11時過ぎに、母のシルバーカーを取りに行く。


※病棟の看護師さんが、「何か聞きたいことありますか?」

と言ったので、

母は施設で、シルバーカーを使えば歩けるので、それを使っていますが、病院だと、そういうことも出来ないですよねー。そうすると、足腰が弱って、歩けなくなりそうで・・・」

と言ったら、

看護師「え?シルバーカー、持って来てください!!!!」

でした。

 

【ミッション2】

シルバーカーを受け取り、私は、元々の予定のバレエレッスンに行き(息抜き、息抜き)

 

【ミッション3】

そのまま、市民病院に行って、母の様子を見て、シルバーカーを置いてくる。

 

あ、認知症が進むといけないから、カレンダーを持って来て欲しい。と病棟の看護師さんに言われたけれど、施設のカレンダーは、母がどこかにやってしまったし、
どこか途中で100均で買うか。
とすると、家を出る時間をもう少し早くするか・・・・

 

 

mixiにアップした日記をコピペしましたが、mixiでは分割で書いたものをまとめてアップしました。