misty's Blog

旅行が中心ですが、趣味など経験したものを書いています

母の家の断捨離(と言うほどでもないけれど・・)を、少しずつ気が向いた時にやっている。今回は母の旅行の記録を持ち帰ってきた

母の目を盗んで、要らなそうな紙媒体を、私の家に持ってきては、選別して不要なものは捨てる。

ってのを、たまーにやっているのですが・・・

 

 

兄に言わせれば、母が亡くなっときには、業者に頼んで全部処分してもらえばいいから、そんなことは不要だという。

まー、でも、もし私が片付けることになったら、大変だから、少しずつやっておきたい。

 

と思ったり、

母の家がすっきりしたら、母も混乱するのが、減少する。

 

とかも思ったりして、やっているのですが・・

↑ それより、自分の家をなんとかしろよ!って感じですけど・・・


昨日持ち帰ってきたのは、
母が、まだしっかりしている頃の2005年から10年閣くらいの、旅行に行った記録でした。


1年毎に、書類袋(A4サイズの封筒)の裏面に、行った日付け・場所などが書いてあり、封筒の中には、パンフレットやら、自分で書き込んだメモなどが入っており

 

これ、捨てれないなー。

 

かと言って、これを見ても、煩雑過ぎて、またぐしゃぐしゃにしてしまう。

そして、置いておいても、この状態だと見ることもない。

 

何も考えずに、全部捨てちゃうってのもありなんですけれど・・・
母が死んだのであれば、そうしますが、

と結局、何もできず。

 

100均でクリアファイル買ってきて、まとめてみようかなー。
あー、自分の旅行のパンフとかも、整理整頓できないのにね。

今日一日、私は家にいるので、なんとか、もう少しこざっぱりさせて、
母が見ては、何か思い出せるような形に出来ないかなー。と思った。

 

100均に行くのが面倒で、家にもしかして、余っているファイルがないかと探したところ、

 

次男が成人式に貰ってきたアルバムが未使用のまま見つかった。

こんなの、使わないよねー。きっと。と思って、

LINEで確認したところ、やっぱり

「使っていいよ」

 

という事なので、とりあえず?それにまとめることにした。

 

昔の人は、知っている。

こんなアルバム。

ビニールをはがして、その中に、写真を入れて、またビニールで押さえる。ってタイプです。

 

封筒は、こんなの。

一緒に行った友達とかの名前も載っている(たぶん、もう、亡くなっていらっしゃる方もいるんじゃないかなー)

 

母は、自分の妹ともよく旅行をしていたけれど、叔母も、だいぶ前に他界したし・・

こんな封筒が、10袋くらい。

 

封筒の裏書き部分は、切り取って、アルバムに貼ったけれど、パンフレットなどは、貼り切れない(枚数が少ない)

パンフレットに穴開けパンチで穴を開けようにも、穴の数が、一般的じゃないよー。

 

いろいろと試行錯誤した挙句

面倒だけれど、これが、一番面倒じゃなくて、簡単だという事に落ち着いた。

まー、テレビみながら、作業出来るし・・・

 

一番大変なのは、年毎には、まとまっているけれど、パンフレットや写真などを時系列に並び変えて、まとめるのが、大変かなー。

 

これって、何か意味があるの???

とも思うけれど、

 

まー、経験は、何かに生きるかもしれないし(片付けの仕方とか、少しは上達するかも?)

 

母が、もしかしたら見てくれるかも知れない。

 

でも、いざ捨てる時に、封筒に入ったままの方が、簡単に捨てられるよねー。

と思ったりもする・・・・・

 

しかし、この旅行記を見ていると、母は、82歳で、1年間に15回くらい一泊旅行に行っている(中には日帰り、二泊旅行もあるけど)

 

そうかー。82歳でも、まだ旅行に行けるのかー。

と、自分の歳を考えて、まだ10~15年は、旅行に行けるのか。と同年代の友達に

「私たち、まだまだ旅行に行けるよ」と伝えた。

 

それにしても、よく私の父が許したもんだな。とも思う。

父は、料理が出来ない人だったけれど、食べ物に対して欲もない人だったので、

トーストだけは、焼いてマーガリンを塗って・・ということが出来たし、コーヒーも入れることができた。

それだけで、毎日暮らしてもいいような人で、

 

そういえば、私が頼まれて(私も料理が出来ない人なので)

コンビニで、おにぎりを買って、届けていたなー。と思い出したよ。

 

ただ、父は、本当にお金を使わない人で、

(趣味は、株で、大損もしなけれぼ、それで大儲けすることもなかったと思うけど、死んだときには、何故か、ちょっとしかお金が残っていなかった)

 

ただただ毎日働いて、母は、一人で友達と旅行に行っていた。

それでも、父は満足していたし、母は、時々文句を言っていた。